【一般山行】高時山(B級)(1563.5m Ⅱ等△) 岐阜県中津川市加子母 NT
木曽越古道は900年の歴史があり、美濃から御嶽山へ向かう登山道として栄え行者や信者の往来が絶えなかったそうだ。しかし昭和の鉄道や道路の発達で往来は次第に途絶えルートも不明となっていた。平成になり地元の有志が古道の復活に取り組み二十七体の石仏観音像が発見され、判明した当時のルートが整備されて今は高時山へのアクセス道として利用されている。(写真は高樽山登山の際に真弓峠へ至る道中から見た秀麗な高時山)

- 日程:2026年3月29日(日) 天候:晴れ
- 参加者:L.NT、IM、IM、OS、KM、GY、FT、RH
- 行程:標高757m林道駐車地7:24-木曽越峠9:13-高時山10:18~11:15- 木曽越峠12:00-駐車地13:17
- 地理院地図2.5万図:加子母
加子母道の駅を左に見送って直ぐに右折、中切集落を過ぎ舗装林道を進んだ標高757mで木曽越峠へ向かう地道林道との分岐に駐車した。九十九折の林道を遡り標高820mで赤布目印が有りショートカットと思われる刈込跡が導いたので誘われ進入した。

この道は只のショートカットではなかった。直ぐに観音像が目に飛び込んで宝物を発見したような大はしゃぎ、小石が多くて歩きにくい道が嘗ての木曽越古道だったと知った。

現場は直ぐに撮影タイムとなって予定時刻通りに高時山へ到達するのか少し心配になった。

踏み跡が薄く怪しくなった斜面を越すと古道は終わり再び林道へ復帰した。だが直ぐに林道は分岐となった。地形図で進行方向を確認するメンバー達、この頃は言わなくとも新たな分岐では必ずコンパスと地形図で確認する習慣が出来た。この姿を見るのが一番好きだ。

やがて道脇に二体目の観音像を発見!これらの観音像は文久2年(1861)に加子母の「林文三郎」付知の「田口忠左衛門」が発起人となり旅人の安全を願って要所に安置した。

三面観音像、加子母から王滝村滝越地区までの間には石仏観音像が三十三体奉られていた。平成14年に結成された地元有志の「木曽越古道と三十三観音研究会」が木曽越峠へのルート調査と観音像捜索を行い、これまでに二十七体発見し歴史古道の風景を再現している。

大きな堰堤を左岸から高捲きして越え右岸へ渡った所に三体目の観音像が安置されていた。この後標高1000m辺りから約100mの急登が始まり緊張の登山が続くことになった。

急勾配の杉の植林帯斜面の中につけられた九十九折の道は足元が落ち葉で埋まっており下山時のスリップが心配になる程の急傾斜地でトラロープが張り巡らされていた。

最も急勾配の危険個所を終えて傾斜が落ちたトラロープを過ぎた斜面で四体目の観音像に出逢った。嫌な箇所を無事に終えて安全の御加護に感謝を込め両手を合わせた。

急傾斜地を抜け幾分傾斜が緩み標高1110m辺りを通る斜面中腹の林道が近くなった。各々ヤブの薄い所を狙い直登し林道に出て小休した。林道を北に進むと峠へ通ずる谷の出合にカツラの大木が有り根元に本日五体目の観音像を見た。嘗ての古道は廃道となっていた。

木曽越峠への新道は道標と古いヤカンが目印の檜の植林帯の浅い谷から始まった。やがて傾斜が増してくると笹が出て踏み跡を見失ったが峠には地形図に記載のない林道が造成されていることは2014年の登山のおりに知っていた。その林道を目指して笹薮を直登した。

東西に延びる稜線と平行に走る林道へ出て西へ80m進んだ先の3mの高みに二体の観音像が有った。木曽越峠の観音像は12年ぶりの再会で頬杖をついた右の石像は確かに見覚えがあった。そこからは雪を抱いた御嶽山が見えていたが二つの観音像は加子母を向いていた。

峠から林道は高時山へ続く稜線の加子母と度合温泉両側の中腹を削って西へ延びていた。度合温泉側の北へ真っ直ぐ下る林道も延びていたがゲートが閉っていた。12年前すでに林道は造成されていたが何故か今でも地形図に記載がない。小秀山の山塊が北に見えていた。

登山道沿いには大きなヒノキやミズナラが多くやはり裏木曽、奥美濃の山とは違った雰囲気を醸していた。またダケカンバの枝が上に真っ直ぐ伸びてモデルのようにスタイルが良い。雪深い奥美濃のどっしりとした太い幹と枝をくねらせた容姿とは異なっていた。

2014年の登山の折りに檜の大木が落雷にやられ虚の内部が黒く焼け焦げているのを見た。当時はもっと落雷の痕が生々しく感じたが12年経った現在まで残っていようとは・・・

高時山へ続く尾根は標高1434mの峰で北にほぼ直角に向きを変えた。地形図を確認すれば30m下って登り返せば山頂なのだが梢の先に見える頂は高く遠くに感じた。

峠までの古道では笹が出ると必ず踏み跡が怪しくなり地形図片手に目標物を決め直登した。しかし、高時山への登山道に入ると笹は刈り込まれ手入れの行き届いた道となった。

標高1500mを過ぎるとへばって来た、やっと山頂と思って着いた先に高みが現れガッカリ、地形図に表現しきれないニセ山頂だった。それでも心を折らずに着いた山頂の先に残雪を纏った大きな御嶽山を見ると報われた。

折しもこの日はIM君が高時山をもって当会指定の「美濃百山」A、B、C級完登であった。IM君には来年1月の総会にて金、銀、銅の3個のバッジが進呈され表彰される。山頂でささやかだが担ぎ上げたシャンパンで彼の完登を祝福した。

御嶽山といえば若い日の雪上訓練を思い出す。毎年11月20日頃の連休に二ノ池でテント泊、池の斜面を使って滑落停止とコンテニアスでのザイルワークとビレイ訓練にみっちり汗を流した。穂高や剱岳へ冬季に入山する近辺の山岳会は何処も恒例行事であった。

下山は急傾斜帯を敬遠し遠いが安全な林道を歩いて帰ろうとの意見も有ったが、一度経験通過した所は往きで思ったほどではない。登った処は下れる。山登りは経験の積み重ねで此れからの山にも活かせる。慎重にと声掛け合うと意外や早く安全地帯へ降りられて後は林道をブラブラ、七体の観音像に出逢え、仲間の百山達成にも立ち会えて良い山行だった。完



